SOLITが伝えきれていない、核となる思想
2023年、海外からの声を受けてSOLITの思想を改めて整理した
私たちは、最近、日本を中心として香港やイギリスなど、海外に向けた活動を徐々に広めています。その取り組みの中で、”日本人”同士の会話だからこそ、共通言語や共通認識の土台の上で伝えられていた部分が、言語の壁を越え、国や文化の違いを越えたときに、伝わりにくい瞬間があるということに気づきました。
特に、日本の文化や歴史に紐付く「東洋思想」的な考え方であったり、事業やサービス・デザインに関する意思決定の背景にある「哲学」「思想」の部分。従来の産業が生み出してきた課題に対する違和感とそれをどのように解決しているのかといった「HOW」の部分はこれまでも伝えてきたものの、海外のパートナーやクライアントと接する機会が多くなった2023年において、それがどのような哲学・思想のもとで行われたものなのかを、ちゃんと伝えきれていないということを感じました。
そこで、私たちのメンターとなってくださる方々と日々話し合う中で、同じような言葉を使って事業をされている方々と実はその根本としての考え方が違うことや、抽象的な言語としては同じものだったとしてもそれが「どこまでを包括しようとしているのか」といった視点が異なることに気づき、それを明言しなければ相手には伝わらないし、それこそ、そこが私たちの強みでもあると捉え直し、考えまとめることにしました。
キーワードは、「東洋思想的インクルーシブデザイン」「多元性」
私たちの根本に持つ思想として、キーワードに挙げるならば大きく2つあることを捉え直しました。1つは、「東洋思想的インクルーシブデザイン」。もう一つは、「多元性」。
私たちの団体に少しでも関わってくださった方々や、一緒にお仕事をさせていただいた企業の皆様にはこうした側面を講演でお伝えしたり、提案の中に含んでお伝えしたこともあったかもしれませんが、改めて言語化をしてみると、この2つの言葉に集約されるのではないかと行きつきました。
多様性や、サステナビリティ、ダイバーシティー&インクルージョンというテーマに関心がある人であればよく耳にすることがある「インクルーシブデザイン」。1970年代からバリアフリーや、ユニバーサルデザインなど多くの新たなデザインのスキームや考え方が広まり、今や日本でも障害や福祉のフィールドでデザインが浸透されることも増えてきました。
「インクルーシブデザイン」という言葉自体も広まりつつあるものの、やはり言葉だけが広まってしまうことが多く、その本質をとらえぬまま伝わってしまっていたり、人によって描くイメージが異なっている状況もあるのではないかと感じます。そして、改めて私たちが描く「インクルーシブデザイン」について考えた時、少し特徴があるなと気づくことがあったため、次の章からはこれについて説明したいと思います。
東洋思想的インクルーシブデザインと多元性
そもそもインクルーシブデザインとは何なのか?
イギリス・ロンドンにあるロイヤル・カレッジ・オブ・アート(英国王立芸術大学院)のロジャー・コールマン教授が発祥した「インクルーシブデザイン」。デザインシンキングや、ユニバーサルデザインと異なる箇所として、社会的マイノリティーや課題当事者をヒアリング対象者として話を聞くことにとどまらず、企画段階から共にデザインを行っていくということを重要視しているものです。
ただアンケートを取ったり、ヒアリングをするだけだと、その人の中で顕在化しているニーズ、自覚のある部分に対してはアプローチすることができますが、潜在的なニーズ、本人の中の「当たり前」に入ってしまっている無自覚の部分などにアプローチすることは難しく、また関係構築が未熟なままの実施だと、その場で本心を出し切ることは難しく、正しい意見がもらえないといった難しさが出てくることもあります。
インクルーシブデザインでは、心理的安全性を担保された上で、チームの一員として議論の上流から参加し、経営判断や意思決定の土台となる部分にも対等な存在・意見として発言が組み込まれていく「関係性の構築」を前提に場を構築していきます。これによって、一種の機会均等や人権の確保を担うといった側面もあれば、企画段階から当事者の声が入ることでデザイナー本意の的外れなアウトプットを避けられるということ、またニーズの前のシーズの段階から確認でき、イノベーションの種を見つけることができるといった側面が存在しています。
「東洋思想的インクルーシブデザイン」とは何か
私たちはこの素晴らしい「インクルーシブデザイン」の捉え方や手法に敬意を示しています。しかし、一方で、一般的には「高齢者、障がい者、外国人など、従来デザインプロセスから除外されてきた多様な人々を、デザインプロセスの上流から巻き込むデザイン手法」とされているインクルーシブデザインは、その前提に「二元論」や「カテゴライズ」する思想が存在していることに気がつきました。
これは、近代西洋で起こった産業革命と資本主義の誕生以降に加速した「物事を分類することによって把握しやすくし、効率化することでスピードを速める」といった文明や産業のあり方が関係しているように思います。英語の表現としても”「Design for〜」から「Design with〜」へ”とされることがあるのですが、いくらプロセスの上流から巻き込んだとしても、結局「A design with B」といったAとBが交わることのない限界がそこにあるように感じます。本来は、二元論的な考え方をする必要もなく、ただただ「Diverse people design.」であるはずです。そこにはwithもforも必要ありません。
日本では茶道の精神の中に「主客一体」という考え方があります。私たちSOLITが描く「インクルーシブデザイン」は、どちらかというとこうした発想に近く、二元論やカテゴライズさえ存在しない、個々の存在やその空間における多元性を前提として「共に在る」ことで創っていく世界をイメージしているのだと感じるようになりました。
西洋が生み出した「インクルーシブデザイン」は常にアップデートされていますが、その根本に存在する二元論に違和感を持つならば、私たちSOLITは自分達が目指す世界に向けた私たちなりのインクルーシブデザインを確立させていく必要があると捉えました。それは「主客一体」の精神にもあるような、生まれながらにして触れてきた価値観や文化に基づく、人間としてのOSに組み込まれている東洋思想的な考え方に紐づくのではないかと感じています。
二元論に対する違和感は、主人と客人ではなく、主客が共にその場を創るのだという「主客一体」や、足るを知るという心構えがあり、そこに区別することなどできないといった考え方が身近に存在している中で生きてきたからこそ、感じるものなのかもしれません。
私たちSOLITでは、従来の日本が捉えてきたこの東洋思想的なインクルーシブデザインこそが、本当の意味で多様な人を包括しそして多様な人が自分らしく生きていくために必要なアウトプットを生み出すにおいて必要なのではないかと思っています。
「多元性」を前提とすることの重要性
前述した通り、カテゴライズには何かを推進する際のスピード感や効率性の担保という役割があると思います。多様な存在に対して、個別性を重視して捉えようとしているとどうしても時間がかかってしまうし、明確な正解のない中で突き進むことになり、指針を立てづらくなってしまう可能性もあります。
しかし、そうした役割を理解しつつも、その弊害があるという点から目を逸らしていてはいけないのではないかと私たちは思うのです。
男女、人間と自然、障害者と健常者、若者と高齢者、 などといった多くの存在を二元論で語ろうとするとき、その間に存在するものをあたかも存在しないかのように言い切ってしまうという状況が生まれています。また、時にはその構造がゆえに「マジョリティとマイノリティ」という分類を生み、何かを推し進めようとする際に、マジョリティーがマイノリティーを包括するといった上下の関係が生まれてしまいやすいのも事実です。さらには、どこかや何かを中心として物事を考えてしまう、中心主義的なものも生まれ得ると思っています。
私たちはこの二元論や中心主義的なものから脱し、すべての物事はグラデーションであり同じものなど1つもないという大前提と、全ての存在は1つのカテゴリーに属すだけでなく多元性を持つ存在であり、インターセクショナルな存在であるということを忘れてはならないと考えています。
例えば、同じ「聴覚障害者」と通常カテゴライズされてしまう人だとしても、その中でもセクシュアリティによってその感じる課題は全く異なります。一概に「障害者の課題」と銘打たれた物事が語られるとき、それは主語が大きくなりすぎていて、それぞれの細かな課題が見えなくなってしまうと言うこともおきえます。
SOLITが描くもの
キーワードを踏まえ、改めてSOLITが目指す世界とは
常日頃から口にしていますが、私たちは「誰もどれも取り残さない、オール・インクルーシブな社会」の実現を目指しています。これはWEBサイトの「ABOUT」ページにも掲載していますが、以下のようなビジョンです。
https://solit-japan.com/pages/about-solit-ja
「オール・インクルーシブ(All-inclusive)」な社会とは、価値の多様性や価値観の選択が相互承認され、自然、生物、人間及びテクノロジー等のあらゆる存在が健全に共存できている社会。私たちSOLITは、医療・福祉、建築、不動産、自動車、家具家電、服飾など、生きていく上で必要なもの全てにおいて、「オール・インクルーシブ」である状態の実現を目指します。さらに、その実現のために「東洋思想的インクルーシブデザイン」という考えを持って、これまでの二元論的・中心主義的な考え方からの脱却と、存在の複雑性や多元性を受容する世界のあり方やアプローチを生み出そうとしています。
ビジョン実現のために私たちが歩むステップ
私たちはそんな社会を実現するにあたり、まだまだ小規模で力不足の側面があることをも理解しています。だからこそ、共に立ち上がる仲間を探しその仲間たちと共に未来を築きたいと願っています。
以下の図にあるように、私たち自身がとても純度の高いインクルーシブデザイン事業の先行事例としての「SOLIT!」というファッションサービスを作りきることと、その次により多くの企業や事業者が似たような取り組みに挑戦したいと思えるプラットフォームや市場を作っていくこと。その背景で、研究調査やエビデンスの集積を行うことで「やる価値がある」と理解してもらうこと。前例があり、エビデンスがあり、挑戦すべき市場なのだと理解していただき、その上で多様なの事業者と多分野において協働をしていくことにより、目指す社会を実現したいと考えています。
共に立ち上がることを決め、挑戦を進めている企業 / 事例の紹介
コクヨ株式会社
会社全体の 取り組むべき重要課題としてインクルーシブデザインを用いた開発を行うことを意思決定されています。またその方法としても、本記事に掲載されているように、ただヒアリングインタビューをするのではなく、チームの中に多様な人が存在する状態を作ることと言う大前提から 実施されています。
また、そのデザインスキームや戦略として、日本では一般的に障害者を課題当事者として設定されることが多いですが、包括すべき対象者をタスクフォースチーム全員で大きく捉えその上で戦略的に意思決定をしています。これは、 ただ単に障害者が使いやすいものづくりをしようと言うものではなく、より多様な人が包括された社会を実現するためにどのようにすべきかといったことを大前提からチームで話し合うと言うへの決断であることがとても素晴らしいのだと思います。
その他の事例はこちらから:https://solit-japan.com/pages/business
わかっていたことを、改めて捉え直す
会社が設定した事業計画やKPIに沿って意思決定をすることや、国が定めた条例や条件に合わせて「企業がやらなければならないこと」としてリストアップされたことは、時に思考停止を生み、それが「なぜ必要なのか」といった側面を考えることなく、 ただ数字をクリアするために行っているという状態に陥ることが多くあると思います。
構造的に仕方がないことではあるものの、それにさえ気づかずに実行している方も多々いる中ではいつのまにか目の前の課題を解決しても課題が再生産される構造の中に足を踏み入れてしまっていたり、実は長期的に見ると課題が解決されていないということも起こってしまうのが社会課題領域での実情です。もちろん、何もやらないよりはその一歩はとても重要であり必要だけれど、どうせなるのなら、本当に実現したい社会にむけて挑戦すべく、挑戦者同士がともに手を取り合うことが必要なのだと感じます。
今回の記事でSOLITの根幹にある思想に問いを立て、再度捉え直しをしたように、一度足を止めて捉え直すという機会や、多様な人と対話をして解像度を高めていく、気づかなかった視点からの問いをもらうという機会は、企業や事業の根幹においてとても重要なのだと思います。たくさん難しいことを書いてしまいましたが、自分達の立つ足元を確認し、土を踏むことを繰り返すことでしか進めないということを痛感し、私たちも常に問いを立て続けていこうと思うことができました。
東洋思想的インクルーシブデザインについて、直接対話の中でより深く聞きたいという方や、共感をして下さった方は、ぜひSOLIT WEBからお問い合わせください。
まずは相談してみる